
「義塾」は「public school」の訳語として福澤諭吉が作りだしたものであり、その語を自ら主宰する塾の名称として使用した、といわれています(異説はありますが)。
しかし、疑問なのは、「public = 公」という意味からすれば「public school」は公立学校ということになり、私立学校である慶應義塾の名前としてはおかしいのではないかということです。事実、アメリカでは公立学校という意味で使われているわけです。ただ、英和辞典を引きますと、イギリスでは私立中高一貫のエリート校という意味で用いられている。福澤は、そのようなイギリスの名門校から着想を得たのではないか。それならば、矛盾もなさそうです。
とはいえ、なぜ「公」ではなくて「義」と訳したのか。そのことについて、福澤はなにも述べていません。ということで、私が勝手に解釈します。「公」= 国(あるいは都道府県や市町村)、とくに日本ではそれに加えて「公」= 朝廷(あるいは幕府)、というイメージが強くあります。しかし、ほんとうに国が文字通りの意味で公(おおやけ)といえるのでしょうか。一部の人たちが「私」的に動かしているだけではないのでしょうか。つまり、国はprivateなものではないのでしょうか。だとすれば、「公」と「私」は対義語ではなく類義語です。本来、「公」は「公 = 私」に対するものでなければならない。それこそが人間としての正しい道 =「義」である。そう考えたのではないか。すると、このような「公」=「義」を貫けるのは、まさに様々なしがらみから独立した「私」ということになります。
そういう生き方・考え方をする人になってほしい、それがわれわれの願いです。

「アソシエ」はフランス語ですが、英語で言えば「associate」= 結びつけて考える・連合する・仲間になる等の意味の言葉です。われわれは、さまざまな他者(人や物)と関わって生きています。というより、さまざまな他者との関係性の中で自分がある。われわれは、つながっているのです。
そのつながりを大切にしたい。それは身近な他者だけではなく、過去の他者や未来の他者も含みます。われわれは、そのために一般的な教科の区分にこだわらず、「この教科のこの部分は、別のこの教科のこの分野に関連があるのではないか」ということを投げかけていきます。一見、無関係にみえるものどうしの中に関係を見出す。一見、無意味と思えるものに何らかの意味を見出す。そのような学びの姿勢を見につけさせたい。そして、それを人に伝えていく力を高めていきたい。そう考えています。
<決定に至る過程>
塾の名称を考えるとき、「○○義塾」が最初の案として出てきました。そして、○○の部分に代表の名前を入れていました。しかし、それでは現代表がいなくなってしまえば終わりです。また、塾が現代表の私物のようになってしまう。ということで却下。では、他にどんな言葉を○○に入れようか。でも、「○○義塾」という名称は結構あるから、逆にしてみようか。「義塾○○」にしよう。ついでに、○○には漢字ではなく横文字を入れてしまえ。ということで、決まりました。「義塾」の位置が後ろではなく前であることと、漢字と横文字のアンバランスさ。
一見、アンバランスなものを結びつける。
名称自体が、われわれが目指すものを表しています。
[義塾アソシエはどんな組織なのか?]
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